ご先祖様と牛の話

三連休明けの今日。
いつも通り、高校生の娘を最寄駅まで送迎。
いつも使う道で、出会い頭の事故。
道路の真ん中のため、通行不可。

 

 

急遽、来た道を戻り、ルート変更。
ナビで見ると、駅への到着時間が電車発車時刻。

 

娘に、おじいちゃん、おばあちゃんにお願いするよう指示。
娘は、ずっと、お願いします、と唱えながら移動。
私も、心の中で、先日、実験を始めた言霊を呟きながら移動。

 

なんと!
発車時刻2分前に到着。
遠回りしたのに、休み明けの渋滞にも
巻き込まれてることなく、無事到着。

 

我が家では、娘も含め、家族全員、朝昼晩、
仏壇に手を合わせ、ご先祖様にご挨拶をしています。
娘が唱えている時、私が言霊を唱えている時、
鳥肌が立ち、不思議と焦る気持ち、事故への不満や憤りはなく、
ただただ普通に運転。

 

見えないけどある存在。
連休中に読んだ本が実体験を通し、腑に落ちました。

 

駅へのルート変更したお陰で、
放牧された牛を眺めることができ、特にした気分になりました。
放牧とは、閉鎖された建物に囲まれることなく、自由に飼うこと。

 

この光景を見せる為の神様、仏様の計らいだったのかも。
こんな経験をさせてもらった父の月命日。

 

ここまで書いたら、思い出したので追記。
父の子どもの頃のあだ名は、牛。
食後に、すぐ、横になっていたから、
親戚から付けられたあだ名って話を
夏休みに、親戚宅で聞いたことを思い出しました。
亡くなった方のことを思い出し、話をするのも、先祖供養。
寂しいのは、忘れられてしまうこと。

 

いつもありがとうございます。